神社の「狛犬」は、なぜ犬なのか?

神社の入口で、当たり前のようにこちらを見ている狛犬。

普段はそのまま通り過ぎてしまいますが、よく考えると少し不思議です。あれ、本当に「犬」なのでしょうか。

立派なたてがみに、大きな牙。どちらかというと、ライオンにも見えます。

調べてみると、その見立てはそう外れていませんでした。ただ、二体ともライオンと言えば済むわけでもないようです。

そもそも、片方は「獅子」だった

古い狛犬を見ると、左右で姿が違うことがあります。

典型的なのは、口を開けて角のない「獅子」と、口を閉じて頭に一本の角を持つ「狛犬」の組み合わせです。京都国立博物館の解説では、この組み合わせの成立を平安時代の初めとしています。[1]

二匹の犬が並んでいると思っていたら、もともとは名前の違う二体でした。

獅子はライオンに由来する姿で、狛犬はそれに似た架空の守護獣です。少なくとも、私たちが飼っている犬を、そのまま彫った像というわけではありません。

その後、両者の姿の違いが薄れ、一対をまとめて「狛犬」と呼ぶようになりました。[2]

だから、今の呼び方が間違いなのではありません。ただ、その名前の中に、かつての別々の姿が隠れているのです。

それなら、なぜ「犬」という名前なのか

ここで気になるのが、「こまいぬ」という言葉です。

「こま」は、古く朝鮮半島に関わる呼び名として使われた言葉で、「狛犬」は「高麗犬」とも書かれます。美術用語辞典JAANUSは、高句麗を指す「高麗(こま)」に名称を結び付けています。[2][3]

よく聞くのは、朝鮮半島を経て日本に伝わったため「高麗犬」と呼ばれた、という説明です。ただ、國學院大學の解説には、「こま」が異国由来であることを示した可能性も挙げられています。[3]

名前に「高麗」があることと、現在の狛犬と同じ像が、そのまま朝鮮半島から運ばれたことは別の話です。

奈良県の解説も、大陸や朝鮮半島に比較できる霊獣はあるものの、日本の狛犬と同じ姿とは言いにくいとしています。[4]

「なぜ犬と名付けたのか」まで含め、語源を一つの説明で確定するのは難しそうです。名前から想像するほど、単純に「外国から来た犬」ではありませんでした。

二体いるのは、夫婦だから?

では、なぜ二体で並んでいるのでしょう。

手がかりになるのは、仏像などの左右に獅子を一対で置き、守護させる古い表現です。京都国立博物館は、この考え方をインドまで遡って説明しています。[1]

一対で大切なものを守る形があり、日本では「獅子と狛犬」という、少し異なる二体の組み合わせが育っていった。そう捉えると、二体いることと、二体の姿が違うことを分けて考えられます。

口を開いた姿は「阿形(あぎょう)」、閉じた姿は「吽形(うんぎょう)」です。

「阿」「吽」はインドの言語に由来する音を表す字で、仏教では始まりと終わり、ひいては万物を象徴するものとして説明されます。お寺の仁王像にも見られる表現です。[5]

少なくとも平安時代末期とされる白山比咩神社の木造像には、阿形の獅子と吽形の狛犬が確認できます。ただし、両方が口を開いている組み合わせもあり、すべてが阿吽というわけではありません。[6][3]

また、「口を開いている方が雄、閉じている方が雌」と一律には言えません。例えば、岡山県倉敷市の鴻八幡宮に伝わる1336年の木造像は、阿吽の二体とも雄とされています。[7]

二体いるから夫婦、という説明だけでは、目の前の像を読み違えることもあるのです。

昔は、神社の入口にいなかった?

僕は狛犬を、ずっと屋外の門番のようなものだと思っていました。

ところが、平安時代には宮中にも置かれていました。宮内庁の解説によると、清涼殿では天皇の御帳台――帳を巡らした寝所――の前に、獅子と狛犬を置くのが通例だったそうです。[8]

神社やお寺でも、古い時代の作例には木造が多く、門や堂の中などに置かれていました。人目に触れる参道だけが、彼らの居場所ではなかったのです。[9]

役割は、大切な場所や存在を守り、邪悪なものを遠ざけること。福岡市博物館は、神前の獅子・狛犬を、魔物の侵入を防ぐ守護の像として説明しています。[5]

その後、参道に置かれる石造の狛犬が広がります。川野明正の研究では、江戸時代初期の関東で参道狛犬が生まれ、肥前地方では18世紀後半に造られるようになったと整理されています。[10]

ただし、石の狛犬自体はそれ以前にもありました。また、古い木造像が社殿の縁などに置かれることもあったため、「昔はすべて屋内、江戸時代に一斉に外へ」とは言えません。[6][10]

守る相手のすぐ近くから、参拝者を迎える場所へ。地域ごとの差を含みながら、今の神社で見慣れた姿ができていったようです。

日本の外へ辿ると、犬よりも獅子が見えてくる

では、その守護する獣は、どこから来たのでしょうか。

日本における獅子の表現には、仏教の伝来が深く関係すると考えられています。奈良県の解説は、古い例として法隆寺の仏像の光背や、五重塔内部の塑像に見られる獅子を挙げています。[4]

インドの仏教美術では、仏の威厳を示すものとして、台座などに獅子が表されました。[5]

中国に目を向けると、獅子は仏教の場だけにいたわけではありません。メトロポリタン美術館によると、漢代の墓にも一対の石の獅子があり、5〜6世紀には仏教石窟での獅子の表現も広がりました。同館の6世紀の守護獅子像は、そうした世界を伝えています。[11]

朝鮮半島にも、仏教と結び付いた獅子の造形があります。韓国国立中央博物館の所蔵品には、統一新羅時代の、二頭の獅子が灯籠を支える石造品があります。[12]

ただ、この灯籠を日本の狛犬の直接の祖先とすることはできません。それぞれの土地で獅子が大切な役割を与えられていたことと、特定の像がどの経路で伝わったかは、区別しておきたいところです。

仏教を伝えた人々、宮廷の文化、大陸との交流。その中で、獅子の姿や守護する役割も日本へ伝えられたと考えられますが、個々の経路まで一本の線で描けるわけではありません。[4]

もっと昔の「守るライオン」

さらに時代を遡ると、古代オリエントにも、聖なる存在や王宮を守る獅子の表現があります。

大英博物館には、古代アッシリアのニムルドの王宮で、玉座の間の入口を左右から守っていた、人の頭と翼を持つライオン像が収められています。[13]

犬の話を調べていたはずが、ずいぶん遠くまで来ました。

MIHO MUSEUMの展覧会「獅子と狛犬―神獣が来たはるかな道―」も、エジプトや西アジア、中央アジア、中国の獅子・神獣と、日本の獅子・狛犬を広い視野で取り上げています。[14]

とはいえ、「このアッシリアの像がインド、中国、朝鮮半島を順番に通り、狛犬になった」と証明されたわけではありません。

長い歴史の中に、強い獣の姿に守護の力を託す表現がある。そのつながりを考えることと、一体の像の家系図を完成させることは、違うのだと思います。

頭の角にも、まだ続きがある

最初に出てきた、狛犬の角も気になります。

なぜ、ライオンに似た獣に角があるのか。福岡市博物館は、中国で墓を守った角のある架空の獣の性格が加わり、日本の獅子・狛犬の組み合わせになった、という見方を紹介しています。[5]

これは形の成り立ちを考える説です。「角は必ずこの一つの意味を表す」とまで決められるものではありません。

やがて角の区別は薄れ、現在よく見る、左右が似た姿になっていきます。[2] ただ、いつ全国一斉になくなった、という話でもありません。

福岡市博物館の解説には、1729年の石造像で、口を開いた阿形に角、閉じた吽形に宝珠を表す例さえあります。[15]

基本を知ったと思うと、そこから外れる像も出てくる。狛犬は、思ったより自由です。

なお、今は角がなくても、もともとなかったとは限りません。白山比咩神社の古像のように、角を失ったことが分かっているものもあります。[6]

次に会ったら、顔を見てみる

神社の狛犬は、犬を写した像というより、獅子や架空の守護獣の長い歴史を受け継ぎ、日本で姿を変えてきた存在でした。

次に神社へ行ったら、二体の口がどうなっているか、頭に角やその跡がないか、少し見比べてみたいと思います。たてがみの巻き方や、台座に刻まれた年号にも、違いがあるかもしれません。

全部の名前や年代を覚えなくても、「こっちだけ、なんか違うな」で十分です。

いつも素通りしていた二匹が、少し違って見えるかもしれません。

参考資料

本文の番号は以下に対応します。作品の制作年代・形状の説明と、起源や伝来に関する解釈を区別して参照しました。

  1. 京都国立博物館「木造獅子・狛犬」館蔵品データベース、台帳番号C甲74。角による区別、平安初期の組み合わせ、インドの仏前守護獣との関係。
  2. JAANUS(Japanese Architecture and Art Net Users System)「komainu 狛犬」。名称の説明、獅子と狛犬の区別、その形と総称の変化。
  3. 中山薫「Komainu」國學院大學デジタルミュージアム、Encyclopedia of Shinto。名称の異国性、両方が開口する例など。雌雄に関する一般的説明は資料間で異なるため、本文では[7]の具体的な作例を優先した。
  4. 奈良県「狛犬のいろはを学ぶ」。大陸・朝鮮半島との関係、伝来の不明点、法隆寺の獅子、国内での展開。
  5. 福岡市博物館「ふくおかの文化財展9―阿吽のかたち―」No.194、2001〜2002年。阿吽の仏教的な意味、守護の役割、インドの獅子と中国の有角守護獣との関係。本文では、宗教的な始終の象徴と、サンスクリットの文字配列そのものを同一視する書き方は避けた。
  6. 文化庁「木造獅子狛犬〈白山比咩神社〉」文化遺産データベース。平安末期の阿吽像、角の欠失、社殿の縁などへの配置。
  7. 倉敷市「木造獅子〈鴻八幡宮〉」。1336年の制作を示す墨書と、阿吽とも雄であることの解説。
  8. 宮内庁「狛犬」京都御所。平安時代以来の御帳台前への配置。掲載作品そのものを平安時代作と扱ったわけではない。
  9. 京都国立博物館「狛犬(こまいぬ)」博物館ディクショナリー、1995年2月11日。古い木造像の安置場所、獅子二頭の組み合わせが残ることなど。
  10. 川野明正(2024)「スフィンクスと人面狛犬のユーラシア―ギリシャから仙台・花巻まで(下)日本の人面狛犬」『明治大学教養論集』578、23–51頁。特に23–24頁。参道狛犬の成立、肥前での展開、それ以前の石造狛犬との区別。
  11. The Metropolitan Museum of Art, “Guardian Lion,” China, Northern Qi dynasty, mid-6th century. 漢代の墓と仏教石窟における獅子の役割。
  12. National Museum of Korea, “Twin-lion Stone Lantern of Jungheungsanseong Fortress, Gwangyang.” 統一新羅時代の双獅子石灯。日本への直接の伝来経路を証明する資料としては用いていない。
  13. The British Museum, “Human-headed winged lion,” museum number 1851,0902.509. ニムルドのアッシュルナツィルパル2世の王宮で入口を守った一対の像の一体。所蔵品解説の検索表示で確認。
  14. MIHO MUSEUM(2014)「獅子と狛犬―神獣が来たはるかな道―」同館発表の展覧会広報。広域の比較という展示趣旨を参照。展覧会図録本文を閲覧したものではない。
  15. 福岡市博物館「ふくおかの文化財展4―獅子・狛犬―」No.093、1996年。作品8「石造狛犬」、1729年銘。阿形に角、吽形に宝珠という作例。

資料確認日:2026年9月25日。

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

余禄log 管理人
日常でふと気になったことを調べています。
歴史、文化、生き物、科学、心理などジャンルは気分次第。
知らなくても困らない。でも、知るとちょっと面白い。そんな情報をまとめています。

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次