雨が降り始めたとき、ふっと土っぽい匂いがすることがあります。
濡れた地面の匂い、と言えばよいのでしょうか。まだ雨粒が落ちてきていないのに、「そろそろ降りそうだ」と感じることもあります。
でも、考えてみると不思議です。水そのものを思い浮かべても、あの匂いにはなりません。
雨の匂いとは、いったい何の匂いなのでしょう。
調べてみると、地面で作られた成分と、それを空気中へ送り出す雨粒の働きが見えてきました。
あの匂いには、名前があった
乾いた地面に雨が降ったときの独特な匂いは、「ペトリコール」と呼ばれます。
1964年、オーストラリアの研究者イザベル・ベアとリチャード・トーマスが、論文で使った言葉です。ギリシャ語の「石」と、神々の体を流れる液体を意味する言葉を組み合わせています。[1][2]
少し大げさにも聞こえる名前ですが、研究の相手は身近な石や土でした。
所属機関CSIROの解説によると、二人は暖かく乾いた屋外に置かれていた岩石を水蒸気で蒸留し、匂いのもととなる黄色みを帯びた油状の物質を取り出しました。[2]
何もなさそうな地面に、匂いのもとが残っていたのです。
ただし、ペトリコールという名前を知っても、それだけで正体が一つに決まるわけではありません。雨のときに感じる匂いには、植物由来の成分や、土の微生物が作る成分などが関わります。[3]
そのうち、土っぽさを考えるうえで欠かせないのが「ゲオスミン」です。
「土の匂い」を作っている生き物
ゲオスミンは、独特な土っぽい匂いを持つ物質です。
1965年の論文では、放線菌という細菌の仲間から、この物質を取り出したことが報告されています。[4]
土の匂いだから、土を構成する鉱物そのものの匂いなのかと思っていました。でも、その一部は、土の中で暮らす微生物が作ったものでした。
代表的な作り手が、ストレプトマイセスという放線菌の仲間です。名前は難しいですが、ここでは「土の中で匂いの成分を作る細菌」と考えると分かりやすいと思います。[5]
つまり、雨が降るたびに、雨水からあの匂いが新しく生まれるわけではありません。地面には、すでに匂いの材料があるのです。
では、普段は足元にあるものが、雨の日にはどうやって鼻まで届くのでしょうか。
一粒の雨の中で、泡がはじけていた
その仕組みの一つを調べたのが、MITのヤングスー・ジョンとカレン・ブイです。2015年の研究では、土などの表面に水滴を落とし、高速カメラで衝突の様子を観察しました。[3][6]
水滴が地面に当たると、平たく広がります。そのとき、表面との間に小さな空気の泡が閉じ込められることがあります。
泡は水滴の中を上がり、表面ではじける。その勢いで、さらに細かな水滴が空気中へ飛び出します。
炭酸飲料の泡が表面ではじける様子に、少し似ています。地面を濡らす一粒の雨の中でも、目では追えないほど小さな出来事が起きていたのです。
空中に漂う微小な液滴や粒子を「エアロゾル」と呼びます。この研究では、飛び出した液滴が、もとの表面にあった成分を運べることも示されました。[6]
研究者たちは、この仕組みが、土にある匂いの成分を空中へ運ぶことにも関わるのではないかと考えています。[3]
地面に匂いのもとがあり、雨粒がそれを空へ送り出す。
ただし、これは「雨の匂いのすべてを直接測って解明した実験」ではありません。水滴が細かな飛沫を生む仕組みを確かめ、匂いの広がりへの関与を提案した研究です。
面白いのは、雨が激しければ激しいほど、この飛沫が増えるわけでもないことです。実験では、表面の性質や水滴の速さによって発生量が変わり、弱い雨や中程度の雨に相当する条件で多く生じました。[3][6]
匂いを運ぶにも、泡ができてはじけるための条件があるようです。
まだ降っていないのに、匂うのはなぜ?
そうなると、別の疑問が残ります。
雨粒が地面に当たって匂いが広がるなら、降る前に感じる匂いは何なのでしょう。
一つは、雨粒が落ちる前の湿り気です。CSIROは、湿度の上昇によって岩石や土の表面にある匂いの成分が放出され、実際に雨が降ると、その放出がさらに進むと説明しています。[2]
また、自分のいる場所で降っていなくても、周囲ではすでに降っている場合があります。雨で空中へ出た成分が風に運ばれる仕組みを踏まえると、匂いだけ先に届くことも考えられます。ただし、これは今回確認した研究から考えられる説明で、個々の「雨の予感」の原因を特定したものではありません。[3]
雷雨の前後に感じる、少し鋭い匂いについては、オゾンの関与も大学の解説で紹介されています。[7]
つまり、「降る前は必ずオゾン、降った後は必ずゲオスミン」と、きれいに二分できるわけではなさそうです。
どこで、どんな天気のときに、何を嗅いでいたのか。僕たちがひとまとめに「雨の匂い」と呼ぶものにも、いくつかの違いがあります。
余禄――その匂いは、誰に向けたものなのか
ここまで調べると、ゲオスミンを作る細菌のことも気になってきます。
人間に雨を知らせるために、匂いを作っているわけではないはずです。では、何の役に立つのでしょう。
2020年の研究では、ゲオスミンなどの匂いが、土に暮らす小さな節足動物「トビムシ」を引き寄せることが示されました。[5][8]
トビムシは細菌の集まりを餌にします。その一方で、細菌の胞子を体に付けたり、食べた後にふんとともに出したりして、別の場所へ運びます。研究では、腸を通り抜けた胞子が、再び増殖できることも確認されています。[8]
食べに来た生き物が、結果として細菌の移動を助ける。匂いが、土の中の生き物同士を結びつけていました。
これは、ゲオスミンの働きをすべて説明する話ではありません。それでも、「雨の匂い」の一部が、足元の生き物たちには別の意味を持っていると分かります。
僕たちは、空模様が変わったときの匂いだと思っていた。
そのもとを辿ると、地面に残った成分、小さな細菌、雨粒の中ではじける泡がありました。
次に雨の匂いがしたら、空を見上げるだけでなく、足元にも少し目が向きそうです。
参考資料
- Bear, I. J. & Thomas, R. G. (1964). Nature of Argillaceous Odour. Nature, 201, 993–995. DOI: 10.1038/201993a0
ペトリコール命名の原著。今回、出版社ページで書誌を確認。本文全体は購読制限があるため、実験の説明には下記CSIROの公式解説を用いた。 - CSIRO (2015). The smell of rain: how our scientists invented a new word.
研究者、命名、油状成分の抽出、湿度による放出の説明。 - MIT News (2015). Rainfall can release aerosols, study finds.
実験映像の説明、飛沫の発生条件、匂いの輸送との関係が研究者の仮説であることを確認。 - Gerber, N. N. & Lechevalier, H. A. (1965). Geosmin, an Earthy-Smelling Substance Isolated from Actinomycetes. Applied Microbiology, 13(6), 935–938. DOI: 10.1128/am.13.6.935-938.1965
公開抄録・書誌で放線菌からの分離を確認。 - Becher, P. G., et al. (2020). Developmentally regulated volatiles geosmin and 2-methylisoborneol attract a soil arthropod to Streptomyces bacteria promoting spore dispersal. Nature Microbiology, 5, 821–829. DOI: 10.1038/s41564-020-0697-x
出版社の公開抄録で、匂いへの誘引、胞子形成との関係、トビムシによる散布を確認。 - Joung, Y. S. & Buie, C. R. (2015). Aerosol generation by raindrop impact on soil. Nature Communications, 6, 6083. DOI: 10.1038/ncomms7083 / MIT機関リポジトリ
リポジトリの原著抄録を確認。本文PDFの取得ができなかったため、詳細な実験描写は著者所属機関の解説[3]と照合した。 - University of Illinois Extension (2021). Duane Friend, Breathe in that sweet smell of rain. May Extension Connections, p.3.
雷雨前の匂いとオゾンについての大学による解説。すべての降雨前の匂いがオゾンだとは扱っていない。 - John Innes Centre (2020). Research unearths the science behind the smell of spring.
研究[5]の所属研究機関による解説。トビムシによる胞子の散布と、腸を通過した胞子の生存について確認。

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